2006年06月18日

鬼火

私は天気の悪い日にはエリック・サティを聴きたくなるのだが、そのサティの曲が効果的に使われている鬼火という映画もまた、天気の悪い日に見たくなる作品である。

ストーリー自体は単純なものだ。若いときに社交界でならし、今は落ちぶれているアル中の高等遊民アランがかつての友人達を訪ね歩いた後にピストルで自分の心臓をぶち抜くまでの数日を描いたものである。

といっても暴力的でだらしない描写はなく、サティの曲もあいまって終始陰鬱なトーンで話は進む。多分これは見る人によってずいぶん主人公の評価が分かれる作品だと思う。こんな弱虫の甘ったれのわがままっぷりになんか付き合いきれるか!と感じる人もいるだろうし、「これは俺か!?」と感じる人もいるだろう。私はどちらかというと後者だ。ただ彼には華やかな時代があっただけマシだろとは思うけども(笑)。

高校時代から時々見ている映画なのだが、今日初めて気づいたことがあった。それは主人公アランがかつての親友や恋人と話すとき、たった一度だけ心の底からの本音を漏らして相手を試すことである。それはたいてい「そばにいてほしい」「触れたい」といった相手を求める言葉である。

しかし友人や恋人達はアランが発したその言葉の本当の意味に気づかないのだ。全員一人残らず気づかないのである。そして軽くあしらってしまう。ある人は「ダメ。明日には戻らないと」と言い、ある人は「男と女の間には潮時がある」と言う。その瞬間アランは相手に対して「もうダメだ」と感じて去るのである。

そのあといくら彼らが「明日遊びに来て」と言ったり「大事な親友だ。俺は味方だよ」と言ったりしてももうアランにとっては意味が無いのである。掛け値なしの心からの頼みはもうすでに彼らに拒否されてしまっており、そしてアランはその願いを受け容れてくれること以外には何も相手に望んでいないからである。

高校生の時にはこんなことには気づけなかった。歳をとるのも悪いことばかりじゃないな本当に。


posted by まる子 at 00:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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