2006年07月05日

暗い青春・魔の退屈

雨が降っているので何げなく20年ぶりくらいに『雨音はショパンの調べ』を口ずさんでみたら最後まで歌えてしまって自分でちょっと驚いたまる子ですこんばんは。ガゼボは今、一体どこで何をしてるんでしょうか。

私が持っている本で、どうしても出所がわからない本がある。
坂口安吾の『暗い青春・魔の退屈』という私小説である。高校を卒業するころ、気がついたら手元にあったのだ。
高校時代の私は、憧れの先輩が読書家だったために、彼女に認められたいうえに話についていきたくて、少し無理に読書をしていた。

読んでいたのは夏目漱石や志賀直哉、梶井基次郎や太宰治などの、近代の作家と呼ばれる人が書いた本である。萩原朔太郎を教えてもらったのも彼女からであった。
読んでみても理解できない作品もあったが、それでも読んだ(いまだに本棚に入っているので、取り出して読んでみてもいいかな、と思っている)。
その経験は本当によかったと思っているし、私の思い出の中でも核になっているものの一つである。

しかし、その中に坂口安吾はいなかったはずである。坂口安吾という存在に興味がなかったし、先輩も安吾を読まなかったので読書の対象にはなっていなかった。なのに、彼の本があるのだ。これはいまだに理由がわからない。

内容がこれまたある種アクのきつい私小説で(エッセイなんて言葉ははばかられる)、ど図太い神経と冷徹な知性と柔らかい感受性とてんでダメな甲斐性なしの部分が同居している作者の人生が時系列ごとに書かれている。

二十代の時に経験した女性作家との未来の見えない愛の話などは、作者自身も相当の深手を負った恋愛らしくあまり克明には描かれない。しかし断片的に書かれる内容は、こっちまで内臓が痛くなるような痛切なものである。

愛が人生を養い、育て、幸せにする暖かなものばかりとは限らないと今更ながらに思わせるものばかりで、まるでドライアイスを握り締めているような印象を与えてくる。熱いのか冷たいのかも判然とせず、握った手は確実に損なわれていくのだ。そして溶けたそばから気体になって、手の傷以外に後には何も残らないような恋。不毛で愚かな恋。

心のうちを明かすというより、自分の内臓を素手でつかんで引きずり出し、こちらに向かって投げつけられたような気にさせられる作品であった。

そして、この本をなぜ私が持っているのか、いまだにわからないのだ。


posted by まる子 at 23:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍(マンガ含む) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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