2007年01月29日

二日連続で深夜に映画を見てしまった。昨夜見たのは阪本順治監督、藤山直美主演の『顔』である。何となく見始めて目が離せず結局最後まで見てしまったパターンだ。

まあ強烈な作品だった。正直言って阪本監督の作品はあんまりはまらないんだけど、これは違った。主人公の正子の行動を見ていると身につまされて先が気になって仕方なくなるのだ。たぶん根底にかなりの割合で正子的な部分が私にあるのだと思う。

正子は実家(クリーニング屋)から出ないままリフォームの仕事をして暮らしている中年女性で、コミュニケーションスキルがとても低い。容姿もさることながら人格にも全く愛嬌がない。不器用で愛想がなく、頭もあまり良いほうではない。少女漫画やメロドラマが大好きな部分もあるが、他人に対しては笑顔も見せず、単語で会話をするような人物である。

彼女には妹がいるのだが、きれいでおしゃれで要領がよく辛辣。そんな妹は全てに劣る愚鈍な姉の存在を恥じて生きている。一家を支えていた母が亡くなった夜、妹は姉に向かって「私はこの家を喫茶店にでも改築する。それでお姉ちゃんを許す」と言い放つ。そのときの正子のセリフは秀逸だ。「許してくれんでもええよ」と妹を睨みつけるのだ。妹が姉を恥じているのは妹の勝手であり、許しを請うことを要求される筋合いなどないと正子は思っているのであろう。

とにかく正子から感じられるのは怒りである。自分を取り巻く環境、そしてそれを呼び寄せてしまう自分自身への怒りがすさまじい。口論の末正子は妹を殺して逃亡生活を始めるのだが、そこから彼女は自分から逃げ続けることになる。後ろ向きの全力疾走を余儀なくされるのだ。

彼女はとにかく逃げ続ける。自分以外の誰かになってその場その場でどうにか生きる。しかしその暮らしの中でもあくまでも彼女は鈍くて不器用である。他人を口先でだましたり何かを繕うことがない。ただひたすら顔を隠して、自分ではない暮らしを送りながら逃げるのだ。

逃げなければならない状況にならなければ、彼女はこんなにも他人と接触することはなかっただろう。自分自身ではない何かになったからこそ得られる感情及び絆や屈辱が、彼女を成長させていくのだ。最初彼女はまるで赤ちゃんのようである。嫌なことを強いられたらものすごい声で絶叫し、年齢不相応な様子でうろたえたりする。それが少しずつ変化するにつれ彼女の顔は変貌していく。藤山直美はすごいな。

彼女が逃げ続けるのは自分に戻りたくないからだろう。つかまったら最後、彼女は妹を殺した吉村正子という人物以外にはなれない。彼女はおそらくその状況になるのがいやという理由のみで逃げているのではないだろうかと思った。映画はそんな彼女の望みはきっと叶わないだろうと思わせて終わる。
捕まったら彼女はどうなるのだろう。またあの無口で強情で得体の知れない中年女に戻るのだろうか。


posted by まる子 at 00:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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