2008年01月10日

ファザー、サン

DVD-BOXに入っていた映画のうちの一本(これで何のBOX買ったかわかっちゃうなあ)。もう一作よりも画像が明るそうなので選んでみた。

主人公は二十歳の青年。軍学校に通っており、20歳しか歳の違わない若い父親と二人だけで暮らしている。母親は主人公を生んですぐに死んでしまったという設定で、全く登場しない。が、父親曰く主人公は母親に似ているらしい。

この親子はあまりにも仲がいい。父親は元軍人で現在は退役しているのだが、用もないのに息子に会いに軍学校に出向いたりしている。息子は息子でそんな父親を鬱陶しがることなどなく、それどころか父親しか視界に入っていないくらいに父親を恋い慕って生きている。説明がなかったら、紛れもなく二人は恋人同士にしか見えないくらいだ。実際そのように受け取る鑑賞者は多かったようで、監督自身が「この映画は同性愛の映画ではない」とあえて言ったほどである。あくまでも大変に仲のいい親子を描写している、ということなのだろう。

しかし作中にはそんな二人の姿を奇異に感じる人間がちゃんと登場している。主人公の恋人の女性も二人の間には入り込めないと告げるし、主人公の軍学校での同級生も、学校を訪ねてきた父親に訝るような視線を向ける。つまりこの映画を作った人はちゃんと、二人の仲が世間一般の常識的な親子の姿から逸脱しているとわかっているのだ。

二人は互いに大変に愛し合っているのに、なぜかその姿はひどくはかなく不安定だ。満ち足りた様子など微塵もなく、欠けた部分を求め続けているようにしか見えない。抱きしめあっていても、顔が触れそうなくらいにそばにいても、安心感は全く伝わってこず、それどころか出口が見えない寂しさだけが募ってくる。

父親は息子を溺愛することで最愛の妻の影を追っていて、息子は父親の全てを知り尽くそうとしてそれが叶わずいらだっている。愛しすぎて近づけば近づくほど、決して分かち合えない部分が際立つことに気づかないで生きているのだ。そして、人には分かち合えない部分、知ることが絶対に叶わない箇所があることを受け容れなければいけないのだと、息子は自分の力で理解する。理解したとき息子は父から離れることを宣言し、そして物語は終わる。

この映画は自立という名の別れの映画だ。だけれど、闇雲に求め合う親子が別れを受け容れるとき、なぜかずっと一緒にいた最初のときよりも、見ているこっちの心が安らぐのである。好きだから、愛しているからと自分を差し出し、相手を求めることが必ずしも幸せには繋がらないと今更ながらに思わされる。

つまるところ、どんな人間も独りなのだ。自分の世界には最初から最後まで誰もいないことが当然なのである。もしも誰かがいたとしてもそれは一時的な存在で、けして住民ではない。それを当然ではないと思いこむことが苦しみの始まりなのだろう。

この親子は互いに愛しぬくことでその境地に至ったのだろう。それはきっとすごく幸せな別れ方だ。たぶん何度も何度も見る作品になりそうな気がする。


posted by まる子 at 00:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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